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自動車業界トピックス

〈東日本大震災から12年〉福島県の自動車業界団体、放射性汚泥処理を今年度で終了

数々の困難乗り越え大きな功績

指定廃棄物相当の放射性汚泥を一時保管していた福島トヨペットのふたば大熊店

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から11日で12年が経った。福島県で洗車設備などに溜まった放射性物質を含む汚泥の処理に取り組む「福島環境整備機構(近藤哲社長、福島県郡山市)」は、2022年度をもって処理業務を終えることを明らかにした。約6年間で放射性汚泥処理を支援した拠点数は153拠点。機構が役割を終えたことで、福島の自動車業界は一つの節目を迎える。

震災前、洗車設備などに設置されている油水分離槽の油や泥は、産業廃棄物処理業者により処分されていた。しかし震災後、国は放射能濃度が1㌔㌘当たり8千 ベクレル 以上を「指定廃棄物」とする基準を決めたにも関わらず、産廃業者は同2千 ベクレル 以下などの自主基準を設けて回収を拒否。あるディーラーの代表者は、首都圏の産廃業者から「1拠点当たり数百万~1千万円強の費用が必要」とも言われた。

2022年11月。搬出完了後のショールーム。震災・原発事故発生当時の姿に近い

このため、やむなく自動車関連事業者は自社の敷地などに汚泥を保管せざるを得なかった。

自治体が担った除染処理は国が精力的に後押ししたが、放射性汚泥は「民間のものは民間で」と、除染との整合性がとれていない上に、事業者側にも費用やノウハウがなかった。

機構の設立は17年10月。当時、福島県自動車販売店協会の会長を務めていた佐藤修朗社長の福島トヨペットを発起人とし、福島自販協、福島県自動車整備振興会、福島県軽自動車協会が出資。自動車業界が抱える放射性汚泥処理問題への対応を一手に担った。中でも福島トヨペットは、設立費用や運営経費の負担、指定廃棄物保管場所の提供など、主導的な役割を果たしてきた。

機構の業務は多岐にわたる。ディーラー、整備専業者、ガソリンスタンド(給油所)、運送事業者など自動車関連事業者への実態調査をはじめ、放射能濃度の測定や放射性汚泥の処理、指定廃棄物の保管委託業務申請と「18条申請」(廃棄物の指定)など、事務処理全般を支援した。東電との損害賠償交渉に関する自動車関連事業者への助言や、関連する行政当局との窓口なども務めた。

自動車関連事業者から回収した指定廃棄物相当の放射性汚泥は、原発事故の影響で閉業した福島トヨペットふたば大熊店(福島県大熊町)に移送・保管した。機構は、17~22年度の累計で67事業者153拠点から委託を受けて処理業務を行った。保管量はドラム缶で1199本、ペール缶で404個に達した。

同店に保管していたすべての指定廃棄物は、環境省が22年11月までに減容化施設を備える仮置場(同)に搬出し終えた。通常産業廃棄物も適切に県内で最終処分を行った。

今回、業界団体や事業者に放射性汚泥処理に関する最終的な意向確認を数回、行った結果、特段の支障はなく適切に処理ができていることなどから22年度で業務を終えることを決めた。残務の整理がついた時点で機構は解散する。

県内の自動車関連事業者にとって長年の懸案だった放射性汚泥の処理問題。本来は東電と国が責任を持って行うべきだが、交渉が遅々として進まなかったため、やむなく民間で行わざるを得なかった経緯もある。処理スキームの構築や環境省、東電との交渉の難しさに加え、運営費の工面も現実的な課題だった。 そうした中でも、指定廃棄物相当の放射性汚泥の所在と数量を明らかにし、適正に搬出・保

管する道筋をつくったことは、自動車関連事業者の事業継続につながる大きな功績だったと言える。地域住民の安心・安全にも寄与した。

福島県への批判や風評リスクを避けるため、県内での適切な処理完結を前提としたのは、福島トヨペットの佐藤社長をはじめ、設立に携わった業界団体トップや関係者の共通した強い意志だった。一連の経緯や機構の業務などは報告書としてまとめ、後世に残す予定だ。

(平野 淳)

※日刊自動車新聞2023年(令和5年)3月11日号より