ホンダ初の四輪専用工場として57年前に稼働した埼玉製作所・狭山工場(埼玉県狭山市)が27日に四輪車生産の歴史に幕を下ろす。グローバルマザー工場として、長年にわたってホンダグループのフレキシブルで高効率な四輪車生産体制を構築する使命を果たしてきた。今後は革新的な生産技術を採用している埼玉製作所・寄居工場(同寄居町)にその役割を移し、電気自動車(EV)をはじめとする新しい世代の自動車の生産システムを確立していく。500万台規模の自動車メーカーに成長したホンダの礎となった狭山工場は何を残したのか。
達成は不可能と言われた米国マスキー法に適合した世界初のエンジン「CVCC」を搭載した「シビック」、日本初のエアバッグを搭載した「レジェンド」、世界で初めて量産車にカーナビゲーションシステムをライン装着した「アコード」―。ホンダを代表する先進的な技術を採用したモデルを世に送り出してきたのは常に狭山工場だった。
1963年に日本最後発で四輪車事業に参入したホンダは、埼玉県和光市、静岡県浜松市、三重県鈴鹿市で自動車の生産を開始したが、職人による手作りに近く、とても量産と呼べるレベルではなかった。そこでホンダは狭山市と川越市をまたぐ工業団地内に約38万平方㍍の用地を取得して四輪車生産工場を設け、64年11月に四輪車生産ラインを稼働した。
ホンダは80年代に米国など、海外進出を本格化したが、この海外展開に大きな役割を担っていたのが〝マザー工場〟である狭山工場だ。高効率での多品種少量生産など、競争力の高い生産技術を積み上げ、海外拠点に横展開するとともに、狭山工場で働く多くの技術者が海外拠点の生産立ち上げを支援してきた。
現在、欧米の高級モデルに適用されているアルミボディー車の生産技術を約30年前には確立し、その後、スーパースポーツモデル「NSX」に適用した。塗装技術では、コストを大幅に削減できる粉体静電着塗装と呼ばれる技術を業界で初めて自動車に適用したのも狭山工場だ。レジェンドで自動運転「レベル3」を実現できたのも狭山工場での高度なキャリブレーション工程があったからという。
狭山工場は、ホンダの四輪車生産技術を発展させてきただけではない。60年前、ホンダが工場を建てたことで、工場周辺の町は発展した。工場の稼働と同じ64年11月15日、工場近隣に西武鉄道・新宿線の「新狭山駅」が開業。その後、人口は増え、商店や宿泊施設が整備され、町がにぎわった。取引先部品メーカーも周辺に進出したことで、地域一帯が輸送関連製造業の一大集積地に成長。82年には狭山市の製造品出荷額が埼玉県内で1位となった。2018年時点でも狭山市は約1兆2千億円と県内トップで、その7割がホンダ関連を中心とする輸送機械が占める。
その狭山市に衝撃が走ったのは17年。当時のホンダの社長だった八郷隆弘氏が、寄居工場への集約を発表したからだ。
「ホンダもいなくなるし、この『一番街』はもう終わり」。狭山工場に近い商店街「一番街」で中華定食屋を55年間営んできた清水正行さん(仮名)は狭山工場の閉鎖に肩を落とす。かつては狭山工場で働く社員で昼夜を問わずにぎわっていた。ただ、ホンダの海外生産シフトで輸出車を中心に、生産規模が縮小するにつれて来店客も減っていった。最近は、コロナ禍の影響もあって店を畳む近隣の同業者も少なくないという。妻のよし子さん(同)は「別に(工場を閉鎖する)ホンダを恨んだりしていない。ホンダがいたからここまで店を続けてこられた。跡地に何ができるかを楽しみに待つだけよ」と、明るく語る。
ホンダが狭山工場での生産を終えるのは、国内の生産能力が余剰で、四輪車事業の収益が低迷しているからだ。老朽化していた狭山工場を大幅改修して維持することも検討したが、国内販売の成長が見込めないこともあって決断した。これによってホンダの四輪車の国内生産能力100万台は、80万台に減少し、100%近い稼働率を見込める。
世界的にカーボンニュートラル社会の実現に向けた取り組みが求められる中、ホンダは21年4月、40年に新車販売のすべてをEVと燃料電池車(FCV)にする方針を発表した。加えて企業の社会的責任として生産などの事業活動での脱炭素化も求められる。工場もそこで生産されるクルマも今後、大きく変わる。
狭山工場が四輪車生産を終了するのに伴って、マザー工場としての役割は寄居工場が担うことになる。同工場は13年7月に稼働したホンダの国内製造拠点の中で最も新しい完成車生産拠点だ。ここで生産工程での二酸化炭素(CO2)排出量削減や、EVなどの電動車両を効率的に生産する技術を確立して、それを世界の各生産拠点に展開していくことになる。
すでに寄居工場では20年からホンダ初の量産EV「ホンダe」を生産して、EVの生産ノウハウを積み上げている。ホンダはEV向け次世代電池と位置付ける全固体電池を20年代後半に実用化する計画。電池開発に並行して22年3月までに全固体電池の生産技術を実証するラインをいずれかの事業所に新設する。
自動車製造時のCO2排出量を削減する技術開発にも注力する。特に課題になるのが、CO2排出量が多い鋳造工程と塗装工程だ。次世代車向け生産技術を開発するため、20年4月に新設した「ものづくりセンター」が中心となって、両工程の電化に向けた研究に着手した。
寄居工場では太陽光パネルを増設するなど、再生可能エネルギーの利用拡大も図り、スコープ1(製造活動での直接排出)、スコープ2(製造に使用するエネルギーからの間接排出)でのCO2排出量削減を、グループ他工場に先駆けて進める。
CVCCエンジンを搭載したシビックなど時代を切り開いたガソリンエンジン搭載モデルを数多く生産し続けてきた狭山工場。時代がEVにシフトするのを象徴するように、最新設備を備える寄居工場に生産技術を高度化する役目を引き継ぎ、そして舞台から静かに降りる。
「老兵は死なず、消え去るのみ」―。外観からは古さを感じさせないその工場は、ホンダの自動車生産で大きな役割を終えた安堵感に包まれているように見えた。
(水鳥 友哉)
※日刊自動車新聞2021年(令和3年)12月27日号より