今から120年以上前、機械化が急速に進んだ英国の織物工業地帯で、機械に仕事を奪われることを恐れた労働者が工場内の織機などの機械を破壊する「ラッダイト運動」(機械破壊運動)が発生した。運動は約6年の長期にわたり、多数の死傷者や逮捕者を出して鎮圧され、その後、機械化が加速、産業革命を達成した。技術革新の度合いが大きければ大きいほど、影響は広がり、抵抗する力も強くなる。「100年に1度の大変革期」にある自動車業界も時計の針を戻そうとするような動きが表面化している。
全米自動車労組(UAW)によるゼネラル・モーターズ(GM)、フォード・モーター、ステランティスの北米部門の「ビッグ3」に対するストライキが長期化している。UAWとビッグ3経営陣は、物価高騰を背景に4年間で30%以上の賃上げや大幅な待遇改善など、4年間の労使協約見直しを交渉しているが、合意できずにストが拡大している。大きな争点の一つとなっているのがビッグ3が加速している電気自動車(EV)シフトへの対応だ。
GMがLGエネルギーソリューション、フォードがSKオン、ステランティスがサムスンSDIなど、ビッグ3が韓国の電池メーカーと組んで米国内に展開するEV用電池工場は労働協約の対象外で、賃金も低い。UAWはこれら電池工場を労働協約の対象にすることを強く要求している。ビッグ3のうち、GMは要求を受け入れ、建設中の工場を含めて米国内に展開する電池生産拠点を労働協約の対象にすることを認めたという。
UAWが電池生産拠点を労働協約の対象にすることにこだわっているのは、EVシフトに伴う労組の弱体化を防ぐのが狙いだ。自動車は一般的に多いもので約3万点の部品で構成するが、内燃機関を持たないEVはエンジンだけでなく、トランスミッション系、燃料系、排気系などの多くの部品が不要で、部品点数が3分の2から半分程度に減るとされている。
また、テスラがEVの生産に導入している車体の主要な構造部分を一体成形する「ギガキャスト」は、数十の工程を1つに集約できる生産方法で、GMなども導入する方針を表明している。
ただでさえ部品点数が内燃機関車より少ないEVを、ギガキャストで生産した場合、労働者を大幅に減らすことができる。UAWがEVシフトを懸念しているのも雇用に対する危機感だ。ビッグ3が推進するEVシフトが加速すると、工場労働者の人員削減は避けられず、UAWの弱体化を意味する。
米国内の電池工場を労働協約の対象に加えてUAWの傘下に置くことができれば、UAWの組合員が電池工場に配置転換することを促進できる。同時に、米国製造業の中で賃金が低いとされる電池工場の労働者の待遇改善も要求できる。
UAWのストは、現役大統領としては異例なことに、EVシフトを主導してきたバイデン米大統領が支持を表明した。バイデン政権は2030年に新車販売の半分をEVなどのゼロエミッション車とする目標を掲げる。インフレ抑制法(IRA)で北米生産などの条件付きながら、EV購入時に最大7500㌦(約110万円)の補助金を支給するなど、EV販売促進に注力してきた。それでも24年秋の大統領選挙を控えるバイデン大統領にとって、労組票は決して無視できない。EVシフトに伴う雇用の不安定化を懸念するUAW支持に回った。
政治的な事情から環境対策を後退させるのは米国のバイデン大統領に限った話ではない。英国のスナク首相はハイブリッド車(HV)を含む内燃機関を搭載した新車販売を禁止する時期について、当初予定していた30年から35年に先送りした。
英国政府は21年に国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が英グラスゴーで開催されたこともあって、環境意識が高いことで有名な欧州の中でも先進的な環境対策を推進してきた。「グリーン産業革命」としてEVシフトや再生可能エネルギー設備の整備などで先行し、関連する分野での新規雇用創出を狙っていた。
しかし、記録的なインフレ率などを理由とした支持率低迷に頭を抱えているスナク首相は政策をあっさり見直した。政権与党の保守党の支持層は、環境問題に対する意識が労働党支持層より低いとされている。まず保守党の支持基盤を固めることを狙って環境規制を後退させた。
35年以降、域内でのHVを含む内燃機関を搭載している新車販売禁止を決めていた欧州委員会も再エネを活用して製造した合成燃料を使用する内燃機関車に限って、35年以降の新車販売を認めることに軌道修正した。急激なEVシフトで業績が悪化することを懸念するフォルクスワーゲン(VW)やメルセデス・ベンツなどの伝統的な大手自動車メーカーの声を受けてドイツが合成燃料を使用する内燃機関車の販売を認めることを主張、これが受け入れられた。先行き不透明感はあるが、欧州委員会としても環境対策としてEVの普及促進は堅持しつつ、域内の経済成長を阻害したくはないからだ。
こうした思惑を如実に示したのが欧州連合(EU)による中国製EVに関する調査だ。欧州で中国製EVの販売が急成長している。23年1~7月の中国からEU27カ国へのEV輸出台数は前年同期比2倍以上の約30万台にまで増えている。比亜迪(BYD)や長城汽車などの中国資本の自動車メーカーが安価なEVを投入しているためだ。EUは中国系が低価格EVを市場投入できるのは中国政府が補助金を支給しているためで、欧州自動車メーカーのシェアを奪っていることを問題視している。調査結果によっては中国製EVに対する関税引き上げを検討すると見られる。
EUは走行中の二酸化炭素(CO2)排出量がゼロのEVを普及させたいが、経済的な面からそれが中国製では困る。EVシフトで域内の雇用を奪うことは許さないという思惑が見え隠れする。実際、伝統的な自動車産業では内燃機関車の需要が減り、EVが増えることに危機感を持つ企業が少なくない。日本の企業が対象だが、帝国データバンクがまとめた23年の「EV普及の影響/参入企業の実態調査」によると、自動車関連企業でEV普及が「マイナスの影響がある」と回答した企業は5割と半数を占めた。EVシフトに備えるかは別にして、既存の自動車関連企業はEVシフトは経営リスクで、できれば避けたいと願う企業が少なくなくないと見られる。これが政治的な動きと相まって環境規制が後退するケースもあるが、それによって生き残れるとは限らない。
GMの車載用電池工場はUAWの傘下に入れることに合意した。今後、電池工場の労働者の賃金が上昇することが予想される。ビッグ3はEVのコスト競争力を高めるため、電池工場をあえて賃金の安い南部に展開するが、こうした目論見が崩れる可能性がある。退職者の企業年金や手厚い医療保険などのレガシーコスト(負の遺産)負担が足かせとなって業績が悪化したGMが経営破たんしたのは09年。EVシフトで同じ轍を踏むことになりかねない。
アダム・スミスは「国富論」で、個人が私的な利益を追求したとしても「神の見えざる手」によって全体が調和し、社会全体が幸福に向かうと説いた。内燃機関車からEVへ需要がシフトすることは、既存の自動車関連ビジネスモデルを破壊することになるため、さまざまな思惑が交錯し、混乱をもたらす動きもでてくる。ただ、カーボンニュートラル社会の実現は、人類が存続するための条件になりつつあり、取り組まなければ未来はない。
(編集委員・野元 政宏)
※日刊自動車新聞2023(令和5)年10月23日号より